2006年 06月 09日
ライブドア監査人の告白 |
「ライブドア監査人の告白」を読みました。
この手の告白本って、売名行為とか金儲けとか、言訳とか、いろいろとり方はあるのでしょうけれど、そういうバッシングは覚悟で出版されたのだろうし、Accountability(説明責任)を果たすという行為の延長として理解できました。著者の方は立件されている2004年9月期に関しては関与社員ではないため、起訴されている会計士の中には名を列ねておらず、そういう意味ではわざわざ世にさらされなくてもよい立場だったはずにもかかわらず、この本を出版し、さらに公認会計士資格も返上されています。
正直、題名と帯の文句がセンセーショナルに過ぎて感じられたんですが、内容はいたって淡々と事実関係を記録されている書物でした。ライブドア本体の決算期は9月ですので、著者が責任をもたれているのは、2004年10月1日開始、2005年9月30日終了の、2005年9月期の監査結果。著者が監査責任者になられているのは、2005年4月ということで、それ以降のライブドアとの「監査降りますよ」という切り札を使いながらの攻防や、監査チームとライブドアとの上場以降の関係というのは、同業にたずさわるものとして興味深く拝読しました。上場準備の時に甘やかしすぎてその後フェアな関係を築きにくくなるクライアントって結構よくきくんですがライブドアもそのようだったようですね。
公認会計士資格を保有し、外資系投資銀行で経験もつまれ、大変若くして監査法人のパートナーになられた(30代前半でパートナーというのは日本においてはめずらしい)という経歴から、会計士資格などなくても十分に今後もご活躍できる方なのだと思います。資格返上はご本人の美学かもしれませんし、会計士/監査という仕事に何の未練もなかったと著書の中に繰り返し述べられているとおりなのでしょうが、そういう方が、このような事件に係わり合いを持ったからこそ、今後も会計士であってほしかった、というのが正直な感想でしょうか。正直言って、著者の方がかかわっていた短期間で、会社自体を変えられるほどの影響力は、普通に考えて監査人は持ち得ないですから。
『会計士に本当に必要なものは、知識でもなく、地頭の良さでもない。本当に求められているのは”強い意志”だ。。。』というくだりがあります。
これは、このところの全ての会計不正に共通して得られる教訓です。会計不正を見抜けなかった場合ももちろんありますし、当然見抜けたはずの不正を見逃してしまったのであれば怠慢といわれても仕方がないのですが、その会社の生殺与奪を手に握ってしまう立場(不適正意見表明>上場廃止、もしくは開示をさせる>融資・契約の打ち切りなど>倒産)に第三者ながら立たされて、引き金を引く勇気がなく、見送ったケースは多くあるはずなので。
それは、なんと重いことか。会社を経営しているわけでもないのに、その会社の命運を決めてしまうとは。世の会計士で、クライアントと交渉し、何があるべきディスクロージャーであるのか悩む、そういった立場に立たされた経験がある会計士がみな、一連の会計監査不祥事に関して「自分は関係ありません」という顔ができないのは、「自分が同じ立場で何をできたか」というと頭をたれるしかないからです。
そこまでの判断責任は、監査人が追うべきなのか。追うべきだ、という方向で改革は進んでいますが、「リスクが高い」>「責任を取りきれないので監査を降りる」>「どこか(誰か)が『ババを引く』」ということを繰り返しても何も変わらない。アメリカでは監査人の変更が昔から頻繁で、一連の不正で問題になっているような「前年度からの会計不正の繰越し」は比較的少ないはずなんですが、それでも会計不正を防ぐことはできなかったわけですので。
確かに個々の会計士が強い意志を持つ、「個人の意識」は何よりも大事ですが、果たす役割を考えると、結局それをサポートする(強制といってもいい)制度や枠組み、個人が所属する監査法人という組織の明確な管理体制というのがないと、それは担保されないとおもいます。
三次試験をおえた公認会計士登録番号が今年で2万番を越えたそう。実際監査に携わっているのは1万人だとおもうのですが、その全員が同じ「強さ」意思を持つことなど普通に考えて不可能なので。
数年前にエンロン問題で消滅したアンダーセンのFirm policyのひとつは、Client Firstでありました。その当時、それを目にしても何の違和感も感じませんでしたが、今思うのは「わたしたちはコンサルタントではないので、Investor Firstであることを求められているではないか」ということです。
自分がした仕事に関し、顔の見える相手に感謝されたい、という気持ちは、どんな仕事をしていても、誰にでもあり、わかりやすい満足です。私も、クライアントにはかなりFavorするタイプの会計士であったため、クライアントさんからの感謝の言葉には非常に弱く、「○○さんのおかげで。。。」という言葉を聞けると毎回、どんな仕事でも「しんどかったけどやってよかったんだ」と思ってやってきました。
が、監査という仕事の公共性を考えると、もう、そんなところで満足してていてはいけないのかもしれない。場当たり的にクライアントを甘やかすことで感謝されて驕っていては自分が足元をすくわれる。
幸いにして一度も世を騒がせるような会計不正事件に巻き込まれてはいませんが、日米での数年間の経験で、クライアントが破産法の適用を受けたのは通算3件。そのたびに、「自分たちがあのときにくだしたあの判断は」「あの監査手続きは本当に十分だったか」と思えば胸がひんやりとし、そういう経験が逆に自分の判断基準を育てた面があり、監査人として若いころにそういう経験を積んだのは貴重なことだとは思っております。
ちょっと内容が個人的に過ぎるため昔書いて非公開にしていたんですが、しばし公開してみます。
私がカンサを始めた日 1
私がカンサを始めた日 2
私がカンサを始めた日 3
この手の告白本って、売名行為とか金儲けとか、言訳とか、いろいろとり方はあるのでしょうけれど、そういうバッシングは覚悟で出版されたのだろうし、Accountability(説明責任)を果たすという行為の延長として理解できました。著者の方は立件されている2004年9月期に関しては関与社員ではないため、起訴されている会計士の中には名を列ねておらず、そういう意味ではわざわざ世にさらされなくてもよい立場だったはずにもかかわらず、この本を出版し、さらに公認会計士資格も返上されています。
正直、題名と帯の文句がセンセーショナルに過ぎて感じられたんですが、内容はいたって淡々と事実関係を記録されている書物でした。ライブドア本体の決算期は9月ですので、著者が責任をもたれているのは、2004年10月1日開始、2005年9月30日終了の、2005年9月期の監査結果。著者が監査責任者になられているのは、2005年4月ということで、それ以降のライブドアとの「監査降りますよ」という切り札を使いながらの攻防や、監査チームとライブドアとの上場以降の関係というのは、同業にたずさわるものとして興味深く拝読しました。上場準備の時に甘やかしすぎてその後フェアな関係を築きにくくなるクライアントって結構よくきくんですがライブドアもそのようだったようですね。
公認会計士資格を保有し、外資系投資銀行で経験もつまれ、大変若くして監査法人のパートナーになられた(30代前半でパートナーというのは日本においてはめずらしい)という経歴から、会計士資格などなくても十分に今後もご活躍できる方なのだと思います。資格返上はご本人の美学かもしれませんし、会計士/監査という仕事に何の未練もなかったと著書の中に繰り返し述べられているとおりなのでしょうが、そういう方が、このような事件に係わり合いを持ったからこそ、今後も会計士であってほしかった、というのが正直な感想でしょうか。正直言って、著者の方がかかわっていた短期間で、会社自体を変えられるほどの影響力は、普通に考えて監査人は持ち得ないですから。
『会計士に本当に必要なものは、知識でもなく、地頭の良さでもない。本当に求められているのは”強い意志”だ。。。』というくだりがあります。
これは、このところの全ての会計不正に共通して得られる教訓です。会計不正を見抜けなかった場合ももちろんありますし、当然見抜けたはずの不正を見逃してしまったのであれば怠慢といわれても仕方がないのですが、その会社の生殺与奪を手に握ってしまう立場(不適正意見表明>上場廃止、もしくは開示をさせる>融資・契約の打ち切りなど>倒産)に第三者ながら立たされて、引き金を引く勇気がなく、見送ったケースは多くあるはずなので。
それは、なんと重いことか。会社を経営しているわけでもないのに、その会社の命運を決めてしまうとは。世の会計士で、クライアントと交渉し、何があるべきディスクロージャーであるのか悩む、そういった立場に立たされた経験がある会計士がみな、一連の会計監査不祥事に関して「自分は関係ありません」という顔ができないのは、「自分が同じ立場で何をできたか」というと頭をたれるしかないからです。
そこまでの判断責任は、監査人が追うべきなのか。追うべきだ、という方向で改革は進んでいますが、「リスクが高い」>「責任を取りきれないので監査を降りる」>「どこか(誰か)が『ババを引く』」ということを繰り返しても何も変わらない。アメリカでは監査人の変更が昔から頻繁で、一連の不正で問題になっているような「前年度からの会計不正の繰越し」は比較的少ないはずなんですが、それでも会計不正を防ぐことはできなかったわけですので。
確かに個々の会計士が強い意志を持つ、「個人の意識」は何よりも大事ですが、果たす役割を考えると、結局それをサポートする(強制といってもいい)制度や枠組み、個人が所属する監査法人という組織の明確な管理体制というのがないと、それは担保されないとおもいます。
三次試験をおえた公認会計士登録番号が今年で2万番を越えたそう。実際監査に携わっているのは1万人だとおもうのですが、その全員が同じ「強さ」意思を持つことなど普通に考えて不可能なので。
数年前にエンロン問題で消滅したアンダーセンのFirm policyのひとつは、Client Firstでありました。その当時、それを目にしても何の違和感も感じませんでしたが、今思うのは「わたしたちはコンサルタントではないので、Investor Firstであることを求められているではないか」ということです。
自分がした仕事に関し、顔の見える相手に感謝されたい、という気持ちは、どんな仕事をしていても、誰にでもあり、わかりやすい満足です。私も、クライアントにはかなりFavorするタイプの会計士であったため、クライアントさんからの感謝の言葉には非常に弱く、「○○さんのおかげで。。。」という言葉を聞けると毎回、どんな仕事でも「しんどかったけどやってよかったんだ」と思ってやってきました。
が、監査という仕事の公共性を考えると、もう、そんなところで満足してていてはいけないのかもしれない。場当たり的にクライアントを甘やかすことで感謝されて驕っていては自分が足元をすくわれる。
幸いにして一度も世を騒がせるような会計不正事件に巻き込まれてはいませんが、日米での数年間の経験で、クライアントが破産法の適用を受けたのは通算3件。そのたびに、「自分たちがあのときにくだしたあの判断は」「あの監査手続きは本当に十分だったか」と思えば胸がひんやりとし、そういう経験が逆に自分の判断基準を育てた面があり、監査人として若いころにそういう経験を積んだのは貴重なことだとは思っております。
ちょっと内容が個人的に過ぎるため昔書いて非公開にしていたんですが、しばし公開してみます。
私がカンサを始めた日 1
私がカンサを始めた日 2
私がカンサを始めた日 3
by lat37n
| 2006-06-09 16:55
| 会計監査