2004年 12月 18日
私がカンサを始めた日 2 |
そのときの自分の考えたことは、まず、その会社に行くたびに私にお茶を出してくれた経理の女性が、大学に入ったばかりの息子がいる経理課長さんが、職がなくなってしまう。そのことだった。一方で関与社員氏(監査報告書に自分の名前で署名する、監査法人側の責任者)は手際よく、自分のサインした監査報告書をシュレッダーにかけることを指示し、私たちは「意見差控-何の監査意見も表明できません」という監査報告書をあらたに作り直した。
作り直しながら、無力感をかみ締めていた。その会社の監査を、その年はずっと担当していて、会社の状況をつぶさにみていたけれど、私にはなんにもできなかった。それが、悲しかった。
ただ、そこで何とかする、ということは私たちの仕事ではないのだということもわかっていた。会計士が忘れがちなことだけれど、私たちが責任をおっているのは会社の投資家に対してであり、お客さん=会社ではないのである。その会社は、非公開であったので債権者、融資している銀行がやはり私たちが報告責任を追う先で、駄目だったら駄目なところを発見して報告するのがあくまでも私たちの義務である。
その年の監査報告書は、私的整理(イメージとしては倒産の一種、会社の残っている財産を適切に分配してゴメンナサイするというかんじ)の判明する前から、適法意見(商法監査だから)ではあったけれど、特記事項-会社は多額の債務を抱えており、現在関っている開発案件の進行しだいでどうとでも転びうること、がついていた。そして、2003年から義務付けられた継続企業の前提-Going Concernについての記述が求められていたら、更に一言加えなくてはいけない状況だった。
その後金融機関のビジネスというものを少しかじった私にはそのときの私的整理がなるべくしての道だった、というのもわかった。その会社は、長らく開発許可を申請していた土地を保有しており、そこを担保に入れて融資をうけていた。融資打ち切りは、その許認可がおりた翌週の話なのだ。
銀行のロジックから言えば、開発の許可が下りた時点で、担保の土地に価値がつく。銀行側は貸し付けて戻ってこない金額から、担保に取っている土地の価値を引いて、損失を計上する。これ以上傷を深める前にこの会社の損きりをしてしまおう、そういう計算が働いたわけである。
それにしても、監査を始めてわずか数ヶ月でその状況に遭遇した私に、監査というのは無力な仕事だ、というトラウマのようなものがこびりついた。その思いが、もっと別のことはできないか?というその後の私の葛藤につながっていくわけです。
作り直しながら、無力感をかみ締めていた。その会社の監査を、その年はずっと担当していて、会社の状況をつぶさにみていたけれど、私にはなんにもできなかった。それが、悲しかった。
ただ、そこで何とかする、ということは私たちの仕事ではないのだということもわかっていた。会計士が忘れがちなことだけれど、私たちが責任をおっているのは会社の投資家に対してであり、お客さん=会社ではないのである。その会社は、非公開であったので債権者、融資している銀行がやはり私たちが報告責任を追う先で、駄目だったら駄目なところを発見して報告するのがあくまでも私たちの義務である。
その年の監査報告書は、私的整理(イメージとしては倒産の一種、会社の残っている財産を適切に分配してゴメンナサイするというかんじ)の判明する前から、適法意見(商法監査だから)ではあったけれど、特記事項-会社は多額の債務を抱えており、現在関っている開発案件の進行しだいでどうとでも転びうること、がついていた。そして、2003年から義務付けられた継続企業の前提-Going Concernについての記述が求められていたら、更に一言加えなくてはいけない状況だった。
その後金融機関のビジネスというものを少しかじった私にはそのときの私的整理がなるべくしての道だった、というのもわかった。その会社は、長らく開発許可を申請していた土地を保有しており、そこを担保に入れて融資をうけていた。融資打ち切りは、その許認可がおりた翌週の話なのだ。
銀行のロジックから言えば、開発の許可が下りた時点で、担保の土地に価値がつく。銀行側は貸し付けて戻ってこない金額から、担保に取っている土地の価値を引いて、損失を計上する。これ以上傷を深める前にこの会社の損きりをしてしまおう、そういう計算が働いたわけである。
それにしても、監査を始めてわずか数ヶ月でその状況に遭遇した私に、監査というのは無力な仕事だ、というトラウマのようなものがこびりついた。その思いが、もっと別のことはできないか?というその後の私の葛藤につながっていくわけです。
by lat37n
| 2004-12-18 13:57
| 雑記